2022/10/02(日)

16時59分09秒

The ST

世界の出来事を独自の見解で読み解く 刺激的金融ブログ

検索

ドル/円

The Stray Times(有料版)の予告   177回目

| 有料版記事予告 | 2022年9月11日 |

The Stray Times(有料版)の予告   177回目

 9月12日(月曜日)の夕方に、予定通り更新します。以下、予定内容です。

1 特別特集  金融市場の引き締め強化や商品価格下落に対する反応が「変化」している

 先週(9月5~9日)は、オーストラリア中央銀行が予想通り0.5%の利上げを行ったが、カナダ中央銀行とECBはそれぞれ予想を上回る0.75%%の利上げを行い、また世界的に金融引き締めが加速されたようである。まだまだ世界の中央銀行の9月の利上げは続く。

 そんな中でドル高が続き、米国を中心に世界的に株価が上昇し、原油価格など商品価格全般は下落している。

 世界の金融市場の金融引き締め強化や商品価格下落に対する反応がはっきりと「変化」している。ここは少し丁寧に検証して今後に備えたい。本誌の予想もはっきりと書く。

2 今週の「警戒すべき」銘柄   FOOD&LIFE COMPANIES

 耳慣れない社名であるが旧スシロー・グローバルHDである。ハゲタカファンドの買収から再上場したものの押し付けられた借金返済やハゲタカファンドの持株売却が優先される「お決まりの悲惨な経営環境」の中で、業績も株価も「健闘」していたため「期待すべき銘柄」として本コーナーで何度か登場していた。

 少し取り上げるのが遅くなったが、最近の同社は諸問題が一気に噴き出して株価も大きく下落している。ハゲタカに買収されていたツケもあるが、「期待すべき銘柄」から一気に「警戒すべき銘柄」となった同社の「問題点」を検証して「今後」を判断する。

3 お薦め「書籍」コーナー

 今週も「気ままに選んだ小説」をご紹介したい。

2022年9月11日

英国と英国王室の歴史   前半

| 歴史・宗教編 | 2022年9月10日 |

英国と英国王室の歴史   前半

 英国女王のエリザベス2世が2022年9月8日、静養先のスコットランドで亡くなられた。96歳で、在位は70年を超えて英国王室史上最長となる。チャールズ皇太子がチャールズ3世として新国王となるが、すでに73歳である。

 現在の欧州の先進地域である西ヨーロッパは、3世紀以降、断続的に流入してきたゲルマン系民族が「我が物顔」に支配しているが、同じゲルマン系でもフランク族とノルマン族の対立が今も続いている。ここを理解しておかないと現在の欧州政治問題の本質が見えてこない。

 フランク族は現在のEUの中心的立場を占め、かつてはフランス王室が欧州全体に影響力を持っていた。一方でノルマン族の象徴が英国王室である。だから英国はEUを離脱し、英国以外のノルマン族の国家であるスウェーデン、デンマークはユーロに加盟せず、ノルウェー、アイスランドはEUにも加盟していない。

 ただそう言われてもピンと来ないはずなので、英国と英国王室の歴史から理解していく必要がある。この前半では英国王室の誕生過程を解説する。

 現在の「英国」は正式国名が「クレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」で、その中にはスコットランドもウェールズも北アイルランドも含まれる連合国家である。第二次世界大戦までは大英帝国として世界中に広大な領土があり、1920年ころには3370万平方キロと地球陸地面積の約4分の1も占めていた。現在の英国はわずかに残った海外領土も含めて24万平方キロしかなく、日本の37万平方キロよりも小さい。

 さてどの教科書でも英国の歴史は1066年にウィリアム1世(征服王)が即位したところから始まる。それ以前の英国は国家としてまとまっていない未開の地だったのか?

 もちろんそんなことはない。ただ現在の英国の(戦前までの大英帝国の)歴史とは、この1066年にウィリアム1世が名前のとおり英国を征服したところから始まるが、それ以前は「よその国」だったので気にしていないだけである。

 まずその「よその国だった英国」から始める。当時の英国は今の「英国」とは違うので、グレートブリテン島と呼ぶ。

当時の欧州における先進地域とは、紀元前8世紀には都市国家(ポリス)が発達していたギリシャ、紀元前6世紀には共和制が始まっていたローマなど南あるいは東ヨーロッパで、今のドイツやフランスなど西ヨーロッパは欧州の後進地域であり、グレートブリテン島に至っては統一国家となる前の「もっと後進地域」だった。

 グレートブリテン島が歴史に最初に登場するのは、西暦43年にローマ皇帝クラウディオスの侵攻からである。ローマ人は先住していたケルト系のゲール人(基本的に今のスコットランド人)やブリトン人(同じくウェールズ人)などを辺境に追いやるが、グレートブリテン島を属州に組み入れることはなかった。辺境で軍事的にも経済的にも魅力のない地域だったからである。

 ローマ帝国はその領土が最大となったトラヤヌス帝(在位98~117年)の時代には今のスコットランド手前まで侵攻しており、次のハドリアヌス帝(在位117年~138年)がそこに築いた長城が現存している(ハドリアヌスの長城)。

ところがローマ帝国はゲルマン人の侵攻で徐々に弱体化して395年に東西に分裂し、間もなくローマ人はグレートブリテン島を放棄してしまう。西ローマ帝国は476年にゲルマン人に攻め込まれて滅亡するが、当時の欧州の先進地域に位置していた東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は1453年まで存続している。豊かな穀倉地帯だったエジプトを領土としていたからである。

 ローマ人のいなくなったグレートブリテン島には、北海沿岸からゲルマン系のアングル族やサクソン族が入り込み、アングロ・サクソン七王国と呼ばれる小国家群が形成され、829年にウェセックス王のエグバートがグレートブリテン島東南部を統一する。

 ここでゲルマン系民族とはもともとバルト海沿岸地方に居住しており、紀元前後には食料を求めてライン川やドナウ川の北方まで居住地を拡大し、3世紀ころにはローマ帝国内にも傭兵や小作人として入り込んでいた。人口が増えたため食料が不足したからである。

 この動きを一気に加速させたのが、北アジアから遊牧騎馬民族であるフン族(たぶん1世紀ころに分裂した匈奴の一派である北匈奴の末裔)の西進で、375年にフン族は黒海北岸に侵入し、押し出されたゲルマン系の西ゴート族などがローマ帝国内に大挙して入り込んできた。

 フン族に領土を奪われて食料もなくなり、文字通り着の身着のままで食べるために必死で移動してきたわけで、まさに現在の欧州が直面している移民問題と同じ状態だったことになる。現在はその必死に移動してきた方のゲルマン系民族が「わが物顔」で欧州に居座っているわけである。

 当時のゲルマン系民族とはローマ人からみると大変な野蛮人だった。ローマ人はその野蛮人であるゲルマン人を傭兵として危険任務にあたらせて軍事をすっかり任せてしまったため、西ローマ帝国は476年にゲルマン人の傭兵隊長だったオドアケルに攻め滅ぼされてしまう。昔から軍事を他民族に任せるとロクなことにならない。

 西ゴート族などゲルマン系民族は次々と欧州に侵入したが、少し遅れてきたフランク族は先進地域の南ヨーロッパがすでに侵略されていたため、やむなく後進地域の西ヨーロッパに向かいフランク王国を建国し、やがて新たな欧州の覇者となる。7世紀にはカロリング朝のピピンが広大な領地をバチカンに寄進し、その影響力を利用して国力を拡大する。

 フランク王国は後に分裂し、現在のドイツ、フランス、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグとまさに現在のEUの前身であるEECの母体となる。

 さらに遅れて西進した同じゲルマン系のアングル族とサクソン族は、もっと行くところがなかったため、やむなくもっと後進地域だったグレートブリテン島に向かう。そして先住のケルト系民族をさらに辺境のスコットランド、ウェールズ、アイルランドに追いやり居座ってしまう。

 当時もゲルマン系民族=野蛮人だったが、これは現在も全く変わっていないと覚えておいた方がよい。そしてゲルマン系民族の中でも「飛び切りの野蛮人」であるノルマン人が8~9世紀になって主にバルト海沿岸から西進を始める。やはり人口増で食料が不足したからである。

 ここでノルマン人とはバイキング(海賊)とほぼ同義語である。8~9世紀ころの西ヨーロッパは、ほぼすべて先行したゲルマン系民族に支配されていたため、遅れてきたノルマン人は住み着くべき土地がなく食料が確保できない。

 じゃあどうしたのか?というと、海賊として他のゲルマン系民族が先住していた地域を襲い、略奪を繰り返して追い出して居座ってしまった。このバイキング(海賊)が居座った地域が今のデンマーク、ノルウェー、スウェーデン、アイスランドである。

グレートブリテン島にもこのノルマン人(バイキング=海賊)であるデーン人が攻め込み、1013年にはデンマークのクヌート王が支配するノルェーやスウェーデン南部を含む「北海帝国」に組み込まれる。

つまり現在の英国、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、それにアイスランドはまさにノルマン人(バイキング=海賊)が建国した国家であり、ユーロに加盟しておらず、英国、ノルウェー、アイスランドはEUにも加盟していない(英国は2016年の国民投票で離脱を決定)。

つまり「バイキング(海賊)はEUもユーロも嫌い」となるが、そうなった理由は「フランス絶対王室への対抗意識」である。そこを理解するにはもう少し英国と英国王室の歴史を知る必要がある。このまま続ける。

ちなみにスウェーデンの隣国・フィンランドはバイキング(海賊)の国ではなく、EUにもユーロにも加盟している。

そしてノルマン人とはもともと野蛮なゲルマン系でも「飛び切り野蛮」な海賊であるが、その中でも「極めつけに野蛮なノルマン人」と言われたのが海賊王ロロ(846年?~933年)である。

 そして1066年に英国を征服したウィリアム1世とは、実はこのロロの子孫である。つまりウィリアム1世の血筋が現在まで続く英国王室とは、この「極めつけに野蛮な海賊王ロロ」の末裔となる。

ロロは今のノルウェーをベースに海賊を働いていたが、ノルウェーでも略奪を繰り返したため国外追放となっていた。そこで一族郎党を引き連れてフランス北部を襲撃して住み着いていた。

 時の西フランク王国(今のフランス)・シャルル3世(在位898~922年、単純王と言われる)は911年に、ロロにノルマンディー地方を与える代わりに他のバイキングの襲撃から守ってもらう取引をする。そして自分の娘と結婚させ、ノルマンディー公に封じる。つまりロロは海賊から貴族・領主・フランス王位継承者に大出世したが、相変わらず「本業」は海賊で近隣諸国を襲っていた。

 このロロの子孫で第7代・ノルマンディー公・ギョーム2世が、英国を征服して1066年に英国王・ウィリアム1世(征服王)として即位し、現在まで続く英国王室最初のノルマン朝が始まる。そこからいくつか疑問の残る王位継承があるが(その都度指摘する)、このウィリアム1世の(つまり海賊王ロロの)血筋が現在まで英国王室に引き継がれている。

 そのころの英国(グレートブリテン島南東部のこと)は、一時的に同じノルマン人のデーン人に支配されていたものの、再びアングロ族とサクソン族の七王国を構成していたウェセックス王家のエドワード(懺悔王)が即位していたが、その権力地盤は脆弱だった。

ウィリアム1世(征服王)となるギョーム2世はこのエドワード(懺悔王)と遠い縁戚関係にあり、またエドワード(懺悔王)は英国がデーン人に支配されていた時代にノルマンディーで20年間も亡命生活を送っていたためお互いに面識があった。つまりウィリアム1世による征服というより禅譲に近かったが、ここで英国もノルマン人(海賊)が支配する国家となり現在に至る。

 ところが当初の英国王室とはフランス王室臣下のノルマンディー公が兼任していたもので、同時にノルマンディー公にはフランス王位継承権があり、またフランス国内にノルマンディー地方をはじめ広大な領地を保有していた。

 つまり英国王室にはフランス王位継承権があり、逆にフランス王室には英国王位継承権があり、ここから延々と続く英国とフランス王室の「ねじれ関係」が始まる。

 この時代のフランス王室とは、フランク王国時代のカロリング朝が断絶したため、パリ周辺の領主だったカペー家のユーグ・カペーが987年に興したカペー朝に交代していた。フランス革命を挟んで19世紀まで続いたブルボン朝はその分家である。

 そして1154年に、ウィリアム1世の4男・ヘンリー1世の外戚であるフランスのアンジュー伯・アンリがヘンリー2世として英国王に即位しブランタジネット朝が始まる。正確にいうとここで海賊王ロロの血筋が途絶えているが、系図では現在まで繋がっている。その時点のアンジュー家はフランスのほとんど西半分を領有しており、王室のカペー家とも血縁関係のある有力諸侯だった。
 
 そもそもウィリアムとはギョームの英語読みで、ヘンリーとはアンリの英語読みで、新国王となるチャールズとはシャルルの英語読みである。当時の英国王室はフランス語(といってもノルマンディー地方の方言)を話しており、当初のノルマン朝とブランタジネット朝は、フランスの有力諸侯(ノルマンディー公とアンジュー家)が兼任していただけの「フランス王室の亜流」でしかなかった。

 またこの時代は日本最初の武家政権である鎌倉幕府の始まった時代(幕府成立が1192年)と重なる。意外に日本と英国の歴史(国家体制)は並行しているのである。

 ところが英国王室(アンジュー家)がフランスに保有していた広大な領土は、1199年に即位した国王・ジョン(ヘンリー2世の末子)がフランス王・フィリップ2世との領土争いに全敗し、すっかりと奪われてしまう。

 それまではフランスの最有力諸侯であるアンジュー家が兼任していた英国王室は、フランスの領土をすっかり奪われたため英国王に「専念」せざるを得なくなってしまった。このジョン国王は英国内でも失政が続き、1215年に貴族や聖職者の権利を認める「マグナ・カルタ」に署名させられ、挙句の果てに翌年に赤痢にかかって死んでしまう。

 まさに絵に描いたような愚帝で、その後はジョンを名乗る国王(つまりジョン2世とか)は決して現れない。しかし「マグナ・カルタ」の精神は、現在の英国憲法にもしっかりと受け継がれている。

 ノルマン朝とブランタジネット朝時代の各国王は、常にフランスとフランス王室への凱旋を夢見ており、1337年にエドワード3世がフランス王国の王位継承を求めて100年戦争を始める。この戦争は断続的に1453年まで続くが、劣勢だったフランスがジャンヌ・ダルクの出現で最終的に勝利し、それ以降は英国王室がフランスの王位継承を求めることはなくなる。

つまり15世紀半ばになって初めて英国王は英国だけの王との認識をしたことになる。それまでの英国王室はフランスへのノスタルジア(望郷の念)が強く、英国内の政治には「今ひとつ」身が入っていなかった。

 それでは100年戦争の結果、フランス王位をあきらめた英国王室が、今度こそ英国の政治に本腰を入れたのかというと、すぐに始まったのがブランタジネット朝の分家であるランカスター家とヨーク家が英国王位継承を争うバラ戦争(1455年~1485年)だった。

 1461年にランカスター家のヘンリー6世を、ヨーク家のエドワード4世が破り、ヨーク家が王位を奪う。しかしフランスに亡命していたランカスター家のヘンリー・チューダーが英国に再上陸して1485年のボズワースの戦いでヨーク家のリチャード3世を破り、ヘンリー7世(在位1485~1509年)として即位してチューダー朝が始まる。

 ここで短かったヨーク朝(1461~1485年)が終わり、ようやくフランス王室の亜流から本格的な英国王室となるチューダー朝が始まり、英国と英国王室が初めて世界史の中で存在感を示すようになっていく。

 ちなみにボズワースの戦いで戦死したリチャード3世の遺体が、何と2012年8月に古戦場だったレスター市の駐車場の地下から発見され、DNA鑑定の結果本物と判明した。

 リチャード3世は、現在の英国王室に直接繋がるヘンリー・チューダー(ヘンリー7世)の政敵だったので、シェイクスピアに稀代の悪役のように書かれ遺体も戦場に放置されたままになっていた。実際に自分よりも継承順位の高かった2人の幼い王子をロンドン塔に幽閉し、その後密かに殺害してしまったともいわれるが真実は藪の中である。

 因みにチューダー朝に繋がるバラ戦争(1455年~1485年)は、同じように日本が全国的に2つにわかれて権力闘争をした応仁の乱(1467年~1477年)と時期的に重なる。ここでも日本と英国の歴史(国家体制)が並行している。

 さてチューダー家は、もともとウェールズの下級貴族だったが、さまざまな婚姻関係からランカスター家の継承権を得ていた。ただヘンリー7世はランカスター家の嫡子だったことはなさそうで、ヘンリー7世の王位継承には当初から疑念が持たれていたことも事実である。また同時に数多くの国王継承権の僭称者も現れた。

 しかしヘンリー7世はあらゆる閨閥を最大限利用し、ローマ教皇に僭称者を破門させるなどの策略も用い、徐々に権力基盤を固めていく。そしてチューダー朝にはヘンリー8世、メアリー1世(ブラッディメアリ)、エリザベス1世など有名な王が登場する本格的王朝となるが、ここからは後半に続く。

最新有料記事サンプル


2022年9月26日配信分
今週の「警戒すべき」銘柄   東芝(続編)

今週の「警戒すべき」銘柄   東芝(続編)

 先週の続きである。先週はハゲタカファンドが送り込んだ社外取締役の「主導」で非公開化され、見えないところでハゲタカファンドに食い尽くされる「運命」であるが、そんな運命を自ら選んでしまった東芝について解説した。

 東芝については過去から「不適…


2022年9月26日配信分
最近やたら気になること  1回目

最近やたら気になること  1回目

 今週からテーマを1つ追加する。主に国際政治において看過できない動きを取り上げる。

 最初として今週は、共産党大会が迫る中国と習近平の最新状況と、対峙する米国の状況と、日本に差し迫る危機から始める。そのまま「自由主義国連合」と、中露北(朝鮮)の「絶対主…


2022年9月26日配信分
特別特集  FRBは間違っている、それなら日銀介入は?

特別特集  FRBは間違っている、それなら日銀介入は?

やや刺激的な表題であるが、FRBの金融引き締めが急激すぎるという「政策論」ではない。米国経済ひいては世界経済をさらに低迷させることが明白の中で、さらに金融引き締めを強化・長期化させる権限がFRBにあるのかという「そもそも論」である。そこが受…