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インフレの高止まりで再度急落した米国株式市場

| 中央銀行・金融情勢・提言編 | 日本 | 株式編 | 為替編 | 米国 | 米国 | ドル(円) | 2022年9月15日 |

インフレの高止まりで再度急落した米国株式市場

 米国時間9月13日早朝に発表された8月消費者物価指数は前年同月比8.3%の上昇だった。7月の同8.5%上昇から低下しているとはいえ予想の同8.1%を上回り、急激な利上げにもかかわらず米国の物価が高止まっていることになる。

 とりわけ意外だったのはエネルギーと商品価格を除くコア指数が同6.3%上昇と、7月の同5.9%上昇から加速していたことで、前月比でも0.6%上昇と7月の0.3%上昇から加速していた。ここまでの物価上昇は原油などエネルギー価格と大豆・トウモロコシなど穀物価格の急上昇に主導されたもので、現在はそれらの価格が低下しているため消費者物価上昇も間もなく落ち着くと期待されていたところ、見事に裏切られたことになる。

 20~21日に9月FOMCを控えた米国金融市場は、政策金利の市場見通しを反映する2年国債利回りが発表直前の3.52%から3.78%まで急上昇して本年最高利回りとなった。9月FOMCにおける0.75%利上げは確定的で、1.0%の利上げまで予想され始めている。

 一方で経済活動の市場見通しを反映する10年国債利回りも発表直前の3.30%から3.44%まで上昇し、逆イールドは拡大しているものの、利上げ再加速でも米国の経済活動は「それほど落ち込まない」と見る反応となった。

 それを受けてドル高が進み、ドル円は発表直前の141.60円からNY時間夕刻には一時144.96円となり、6日の144.99円に再接近した。

 米国株式市場は、NYダウが1276ドル(3.94%)安の31104ドルとコロナショック時の2020年3月以来の下げ幅となり、ジャクソンホールでパウエル議長のタカ派講演後の安値となった9月6日の31145ドルも下回ってしまった。

 NASDAQ総合指数は632ポイント(5.16%)安の11633ポイントとなったが、安値となった9月6日の11544ポイントは辛うじて上回っていた。

 米国では前日の12日にNY連銀が発表した消費者による1,3,5年後の期待インフレ率がすべて低下していたため株式市場が上昇しており、ショックが倍加したことになる。また米国時間13日のビットコイン価格は22787ドルから19860ドルまで急落していた。

 翌14日の東京市場でも日経平均が796円(2.78%)安の27818円となり、安値となった9月7日の27430円に接近したが、やはり下回っていない。

 14日の東京時間でも円安が続いていたが、午後になって鈴木財務大臣が突然に「為替介入」の可能性に言及し、日銀が実際にレーチェックを行ったため日本時間の夜遅くには142.95円まで押し戻されていた。

 米国時間の翌14日早朝に発表された8月卸売物価指数は、前月比0.1%下落(7月は0.5%下落)、前年同月比8.7%上昇(7月は同9.8%上昇)と想定の範囲内だった。発表直後に2年国債利回りが3.84%、10年国債利回りが3.47%まで上昇したが、終値では2年国債が3.79%、10年国債が3.40%まで低下してドル高も一服となった。

 14日のNYダウは30ドル高の31135ドル、NASDAQ総合指数も86ポイント高の11719ポイントと小反発している。10年国債利回りが上昇している限りは、利上げが多少加速しても米国株は堅調であるとの本誌の予想は「見事に」外れてしまった。

 これだけで判断することは難しいが、21日のFOMCは0.75%の利上げで政策金利が3.0~3.25%となり、同時にフォワードガイダンスも上方修正され2023年前半には政策金利が4.0~4.25%程度となって「いったん様子見」となるはずである。

 従って2年国債利回りも4%を超えるが、やはり10年国債利回りが反落急しない限り(経済活動に対する市場見通しが急激に悪化しない限り)米国株式も堅調に戻ると予想する。利上げが加速されても米国の経済活動は「ある程度耐えられる」と感じるからで、そこから多少でも物価上昇が落ち着けば自動的に実質GDPが加速するからでもある。つまり米国株式に対する本誌の基本的な予想は変えていない。

 15日の日経平均も小高く始まっておりドル円も143円台に戻っている。

 朝方発表された8月の貿易統計(速報値)は2兆8173億円の赤字となった。赤字は13か月連続で、単月の赤字幅は比較可能な1979年以降最大である。確かに円安の弊害も大きい。昨日の鈴木財務大臣の為替介入発言も、円安放置の批判を回避するためでしかなく、介入でどうこうなるものではない。緊縮財政路線を引っ込めて、まずは日本経済の活力を取り戻さなければならない(言うだけ無駄であるが)。

 このままでは昨日の介入発言で手控えられた海外勢の円売りが2~3日のうちに戻ってくるはずである。

2022年9月15日

 

英国と英国王室の歴史  後半 

| 歴史・宗教編 | 2022年9月13日 |

英国と英国王室の歴史  後半 

 エリザベス2世が亡くなり、長男のチャールズ皇太子がチャールズ3世として即位するタイミングに合わせて書く英国と英国王室の歴史の後半である。

 前半では、フランス王室の「亜流」に過ぎなかった英国王室が100年戦争(1337年~1453年)に敗れて完全にフランス王位奪還を断念し、バラ戦争(1455年~1485年)でランカスター家(ブランタジネット朝の分家)の血を引くヘンリー・チューダーが勝利してヘンリー7世(在位1485年~1509年)として即位し、チューダー朝が始まったところまで書いた。

 そしてチューダー朝(1485年~1603年)の時代に初めて、英国王室が本格的に英国に君臨し、英国と英国王室が世界で存在感を高めていくことになる。日本では応仁の乱の終了(1477年)から江戸幕府の始まる(1603年)までの時代に一致しており、依然として日本と英国の歴史(国家体制)は並行していることになる。

 チューダー家は、もともとウェールズの下級貴族に過ぎず、さまざまな婚姻関係からランカスター家の継承権を得ていたとされる。その中でもヘンリー・チューダー(ヘンリー7世)がランカスター家の嫡子だった証拠はない。つまりヘンリー7世の王位継承には疑念があり僭主だった可能性はあるが、血が繋がっていることは事実のはずである。またヘンリー7世は、現在の王室(ウィンザー朝)の直接の祖先である。

 ヘンリー7世は、100年戦争やバラ戦争で疲弊した諸侯を抑圧して絶対王政を確立し、また欧州諸国の王室とも政略結婚による同盟政策を推進し、貿易振興や新大陸への進出も図る。つまりヘンリー7世はその後の英国と英国王室の発展を決定づけた国王だったことは間違いない。

 そしてここまでほぼ並行していた日本と英国の歴史(国家体制)が、チューダー朝から大きな差がついていく。最も差がついたところは海外進出であるが、そこでも当初はポルトガルが先行して喜望峰回りのインド洋航路を独占し(1498年にバスコ・ダ・ガマがインド到着)、スペインが大西洋経由で南北アメリカ大陸に進出し(1492年にコロンブスが最初にアメリカ大陸に近いサンサルバドル島に到着)、英国は出遅れていた。

 英国の海外進出が本格化するのは、エリザベス1世の時代の1588年に英国海軍がスペインの無敵艦隊を破ってからである、また1543年にはポルトガル船が種子島に到着して鉄砲を伝えていた。

 ヘンリー7世は1509年に亡くなり王子のヘンリー8世が即位する(在位1509~1547年)。ヘンリー8世は次々と妃を6人も取り替え(うち2人を処刑)、またトマス・モアなどの自分に意見する重臣も次々に処刑し、恐怖政治を行う。

 それまでの英国王室はヘンリー8世自身も含めてカトリック教徒だったが、ヘンリー8世は1534年に英国国教会を設立して自ら長となる。カトリックが離婚を認めなかったからとされるが、本当の目的はバチカンに破門させて英国内のカトリック教会の聖職者任命権と巨額の教会財産を手に入れるためだった。

 ヘンリー8世の最初の妃は、スペイン・イザベル女王の娘・キャサリン・オブ・アラゴンで、もともとは長兄・アーサー皇太子の妃だった。ところがアーサーが急逝したため、父親のヘンリー7世が弟・ヘンリーの妃に決めてしまう。当時の英国王室は、新大陸からもたらされる莫大な財産をもつスペイン王室の後ろ盾が必要だった。

 それではなぜヘンリー8世がそのキャサリン・オブ・アラゴンと離婚(正確には婚姻の無効)したのかというと、これは単純に王子(男子)が誕生しなかったからである。

 結局ヘンリー8世の死後は、3人目の妃のジェーン・シーモアとの間に生まれた唯一の王子がエドワード6世として即位するが、15歳で急逝してしまう。この時点でエドワード6世には腹違いの2人の姉(メアリーとエリザベス)がいたが、ノーザンバーランド公ジョン・ダドリーが画策してジェーン・グレイ(ヘンリー8世の妹の孫)の即位を一方的に宣言してしまう。

 ところが母親のキャサリン・オブ・アラゴンが離婚されて庶子扱いになっていたメアリー王女に反撃され、ジョン・ダドリーはジョーン・グレイ、グレイと結婚させていた息子のギルフォードとともに捕えられ処刑される。現在の英国王室史では、このジェーン・グレイは正式な英国王(在位わずか9日間、最初の女王、処刑された最初の国王)として追認されている。

 こうして即位したメアリー1世(在位1553~1558年)は母親の影響で熱心なカトリック教徒だったため、父親のヘンリー8世が指名したカンタベリー大司教のトマス・クランマーなど英国国教会の関係者や信者を300人も処刑し「ブラッディ・メアリー」と呼ばれる。カクテルの名前にもなっている。

 またメアリー1世はスペイン国王のフェリペ2世と結婚していたが、もちろんスペイン王室の財産目当ての政略結婚だった。この時点で英国はメアリー1世とスペイン国王・フェリペ2世の「共同統治」となっている。もし2人の間に王子が誕生していたなら、ヨーロッパの歴史が大きく変わっていたことになる。

 メアリー1世は即位5年で亡くなりスペイン王室との関係も終わるが、その時点でチューダー朝の直系がエリザベスだけになっていた。エリザベスも母親のアン・ブーリンが不貞の濡れ衣で処刑されて庶子扱いにされており、またメアリー1世に投獄されていたこともあるが、エリザベス1世(在位1558年~1603年)として即位する。

 エリザベス1世の時代は、前述のスペインの無敵艦隊を破って世界(特に北米)に植民地を拡大し、財政基盤を格段に強化する。またウィリアム・セシルなど有能な宰相にも恵まれ、エリザベス1世の統治した時代は英国の黄金期と言われる。

 エリザベス1世の生きた時代は(1533~1603年)は、徳川家康(1543~1616年)とほぼ重なっている。エリザベス1世の時代は英国が世界に大きく勢力を拡大し始めた時代であり、一方の徳川家康の江戸幕府は間もなく鎖国政策により海外に勢力を拡大する機会を自ら閉ざしてしまい、そこで世界における日本と英国の存在感に決定的な差がついてしまう。

 さてエリザベス1世にはロバート・ダドリー(先ほど出てきたジョン・ダドリーの5男)ら愛人はいたが、独身だったため当然に世継ぎがいない。エリザベス1世の死後、チューダー朝は途絶えることになるが、実はエリザベス1世が即位する時にも「強力なライバル」がいた。

 それが9歳年下でスコットランド女王のメアリー・スチュワートである。もともとスチュワート家はスコットランド王室の執事の家系だったが、婚姻によって王位継承権を得て1371年からスコットランド王室となっていた。

 そしてヘンリー7世の娘がスコットランド王室に嫁いでいたことから英国の王位継承権もある。さらにメアリー・スチュワートは一時フランス国王・フランソワ2世に嫁いでいたため(国王の急逝で帰国)フランス王室の後ろ盾もあり、母親のアン・ブーリンの処刑で庶子扱いだったエリザベスよりも、はるかに正統な血筋である。

 結果的にエリザベス1世は、内乱によりスコットランド女王を追われて助けを求めてきたメアリー・スチュワートを19年間も幽閉し、1587年に処刑してしまう。

 しかしエリザベス1世は、最後にメアリー・スチュワートの息子でスコットランド王のジェームズ6世を後継に指名し、英国王・ジェームズ1世とする。ここからスチュワート朝(1603年~1714年)が始まり、英国とスコットランドは同君統治となり、1707年に英国はスコットランドを併合して現在に至る。そこで英国王室より歴史が長かったスコットランド王室は消滅する。

 余談であるがスコットランド国王が代々その上で戴冠式をあげたとされる「スクーンの石」は1296年に戦利品として英国に持ち去られ、何と英国王の戴冠式に使われる国王の椅子にはめ込まれていた。つまりそこから代々の英国王は「スクーンの石」を尻に敷いて戴冠していた。1996年にスコットランド出身のトニー・ブレア首相(当時)が「スクーンの石」を700年振りに返却している。

 しかし英国王となったジェームズ1世は絶対王政を意味する王権神授説に拘り、また英国国教会の改革派である清教徒を弾圧したため、徐々に諸侯の間で不安と不満が出てくる。

 そして1625年に即位したチャールズ1世は、さらに絶対王政を強めて議会と対立し、1642年に始まった清教徒革命に敗れて1649年に処刑されてしまう。英国王室史で唯一処刑された国王だったが、後に「9日間の女王」であるジェーン・グレイが即位していたと追認されたため、2人目の処刑された国王となる。

 そこからの英国は護国卿のオリバー・クロムウェルのもとで共和制となる。しかしクロムウェルの死後は共和制を維持できず、1660年にチャールズ1世の息子で欧州大陸を転々としていたチャールズ2世が帰国して即位し、王政が復活する。

 このチャールズ2世は帰国して真っ先に埋葬されていたクロムウェルの遺体を掘り起こして絞首刑・晒し首とした。また欧州大陸を転々としている間に多数の愛人と多数の庶子がいた以外のエピソードはない。

 1685年にその弟のジェームズ2世が即位するが、カトリック教徒だったため議会と対立し1688年に名誉革命で追放される。

 後継はジェームズ2世の長女でプロテスタントのメアリー2世と夫のオラニエ公・ウイレム(ウイリアム3世)の共同統治となるが、この2人の間には子供がいなかった。

 英国王室がカトリックを嫌う根本的原因は、当時のフランス王室はカトリックで絶対君主・ルイ14世の治世で、スペイン王位継承にも干渉しており「カトリック=絶対君主=強い=英国王室も乗っ取られる」と警戒していたからである。また追放されたジェームズ2世もフランスに逃れ、そのルイ14世の保護を受けながら復活の機会を窺っていたことも英国を神経質にした。

 ところでこのジェームズ2世は、スチュワート朝の中では珍しく「大変に優秀」で皇太子時代は海軍総司令官となっていた。そして英国経済が発展する最大要因となった奴隷貿易を拡大させる。英国経済はこの奴隷貿易でため込んだ富で産業革命を成功させ世界の最強国となるが、皮肉にもその最大功績者がこの追放されたジェームズ2世だったことになる。

 亡くなったダイアナ元妃の実家であるスペンサー家は、このジェームズ2世の子孫である。当時はジェームズ2世の子孫が英国王室に復帰したと言われたが、間もなくダイアナ妃も離婚して事故死となる(とされている)。ダイアナ妃の実母はカトリックで、ここまでくると英国王室のカトリック嫌い(というより恐怖心)は徹底している。

 話を戻す。スチュワート朝はジェームズ2世の次女(メアリー2世の異母妹)・アン女王が1702年に即位するが、アン女王には健康に育った子供がいなかったため即位前の1701年に王位継承法が制定される。

 王位継承者はステュアート家の血を引くプロテスタントに限られ、王位継承後は英国国教会に帰属することが義務付けられている。この王位継承法は2013年に改正され男女を問わず長子優先となる。それまでは男子長子が女子長子に優先していたが、エリザベス2世には妹しかいなかったので改正前でも即位に問題はなかった。また英国王室は古くから女系国王を認めており、現在では欧州各地に英国王位継承資格者が1000人近くいる。

 そして1714年にアン女王が亡くなりスチュワート朝が途絶えると、さっそくその王位継承法に従いジェームズ1世の曾孫であるハノーバー選帝候のゲオルグ・ルートヴィヒが英国王・ジョージ1世(在位1714~27年)としてとして即位し、ハノーバー朝が始まる。ハノーバー選帝侯との兼任である。

 ジョージ1世は現在の英国王室の直接の祖となるので、少し詳しく解説しておく。現在の王室はウィンザー朝であるが、血は直接繋がっている。

 まず選帝候とはドイツ(神聖ローマ帝国)皇帝を選ぶ選挙権のある諸侯のことで、ハノーバー選帝候は1692年に成立したハノーバー公国の君主である。ドイツ(神聖ローマ帝国)に統一国家が誕生するのは1871年のことで、ハノーバー公国も1866年にプロイセン王国に併合され消滅している。

 ジョージ1世は英語を話せず、英国の政治にもほとんど関心がなく、たまに英国へ渡るだけで政治は議会と内閣に「任せっぱなし」となる。そこから「国王は君臨すれども統治せず」あるいは「内閣は国王ではなく議会に責任を負う」という英国政治の基本ができあがる。

 ジョージ1世は、英国王としては実績がなく英国でも不人気であるが、ハノーバー選帝候としては活躍していた。しかし妃のゾフィー・ドロテアが絶世の美女だったにもかかわらず、なぜか「痩せぎす」だった妾のメルジーネを溺愛し、英国にも連れて行き爵位を与えて実質的に王妃として振る舞わせていた。

 全く顧みられなかったドロテアが愛人を作ると、ドロテアをアールデン城に32年間も幽閉し、愛人は間もなく遺体で発見された。

 ジョージ1世が1727年に亡くなると、そのドロテアとの息子がジョージ2世として即位し最後の外国生まれの英国王となる。ジョージ2世が1760年に亡くなると、その孫がジョージ3世(在位1760~1820年)として即位するが、ようやく英国人らしくなり英国に定住し英国王に専念するようになる。

ジョージ3世の死後に即位した息子のジョージ4世(在位は1820~30年、浪費癖で大変に評判が悪かった)、さらにその弟のウィリアム4世(在位1830~37年、兄とは全く違った真面目な海軍少)まで、すべてハノーバー選帝候との兼務で、妃はすべてドイツ諸侯の子女から迎えていた。
 
 ところでジョージ2世からジョージ3世に王位が移る1756~63年には、英国・プロイセン・ハノーバー公国」と、フランス・オーストリア・ロシアの間で7年戦争となる。実質的に最初の世界大戦である。同じ戦争が植民地の米国でも行われ(フレンチ・インディアン戦争)、勝利した英国はミシシッピ川より東の広大なフランス植民地(ジョージア植民地)を獲得する。

 そのジョージア植民地(州)はジョージ3世の名前から来ている。ついでにルイジアナ(州)はルイ14世の名前からである。ところがジョージ3世は広大なジョージア植民地を「国王直轄」とし、本来の植民地である米国東部13州の住民の入植を禁じてしまった。これが米国独立の直接の原因となる。

 その後はヴィクトリア女王(ジョージ3世の孫、在位1837年~1901年)の時代となるが、ハノーバー選帝侯は女性に継承権がなかったためハノーバー朝で初めて英国王に専念する。後にインド皇帝も兼任する。これも余談であるが英国王で唯一の「皇帝」となった。

 ハノーバー朝時代の英国は世界中に植民地・半植民地を拡大し(ジョージ3世は米国を独立させてしまったが)、それら植民地との交易や奴隷貿易などで巨額の富を蓄積し1760年代から始まった産業革命でさらに国力を拡大し、大英帝国と呼ばれるようになる。そしてヴィクトリア女王の時代にその最盛期を迎える。

 大英帝国としての領土のピークは1920年ころで、アイルランド、カナダ、アフリカ諸国、アラブ諸国、インド、オーストラリア、ニュージーランドなどを合計した面積は3370万平方キロメートルもあった。これは世界の陸地面積の22.6%である。

 まさに人類歴史上最大の帝国で、これに次ぐのが13世紀初めのモンゴル帝国(元)の2400万平方キロメートル(世界の陸地面積の16.1%)である。

 大英帝国として栄えた最大の要因は繰り返しであるが、最初の植民地であるアメリカ東部沿岸とカリブ海諸国との交易や奴隷貿易と、それに次ぐ産業革命で国富が蓄積されたからである。またハノーバー朝が「君臨すれども統治しない王室」で議会と内閣中心の政治体制が確立していたことも挙げられる。

 フランスでは、カトリックの絶対王朝であるブルボン朝が1789年のフランス革命で倒れてからは、ナポレオンが皇帝となったフランス帝政時代を挟んで、もう一度ブルボン朝が復活(ルイ18世)したものの、1870年以降は共和制が続き王室は消滅したままである。同じくブルボン家の分家であるスペイン王室は、数度の中断を挟んで現在まで続いている、

 ヴィクトリア女王に話を戻すが、それまでのハノーバー朝の国王と同じようにドイツからザクセン・コーブルク・ゴータ家のアルバートを夫に迎える。大変に夫婦仲が良く、アルバートが1861年に42才で早死にすると、ヴィクトリア女王は10年以上も喪服で過ごす。

 ヴィクトリア女王の死後は王子が1901年にエドワード7世として即位し、ゴータ朝(ヴィクトリア女王の夫であるアルバートの家名)が始まる。通常の王位継承であるが、父方がハノーバー家からゴータ家に変わったことによる王朝名の変更である。しかし第一次世界大戦中に敵国ドイツの名前はまずいということで、現在のウィンザー朝に変更されている。

 もちろん現在の英国王室である。

 ちなみにゴータ家は、ドイツ中部にあったゴータ公国の君主の家系であるが、英国王室だけではなく、現在のスウェーデン王室、ベルギー王室、ブルガリア王室(廃止)、ポルトガル王室(廃止)にも連なる「大変な名門」である。またこれらの王室には、すべて英国王の継承権がある。

 さてウィンザー朝では、エドワード8世(エドワード7世の孫)が1936年1月に即位するものの同年12月に退位してしまう。

 エドワード8世は独身で即位したが、皇太子時代から既婚者のウォリス・シンプソン夫人と大変に「親密」だった。これは「まずい」とボールドウィン首相がたしなめると、あっさりと王位を放棄してしまった。

 皇太子時代に日本に来たこともあるエドワード8世は、退位後はヒトラーやムッソリーニに接近して英国及び英国王室の頭痛の種となる。ナチスが英国を征服した時は国王に戻す密約があったとか、そもそもシンプソン夫人がナチスの意向を受けてエドワード8世に近づいたなどとも囁かれたが、事実ではないようである。

 エドワード8世が退位したため、弟のジョージ6世が即位する(在位1936年~1952年)。エリザベス2世(在位1952年~2022年)の父君である。映画「英国王のスピーチ」のモデルで、実際にひどい吃音を克服している。

 ジョージ6世の時代は、英国が大英帝国時代の領土を次々と失い、第二次世界大戦後の覇権をアメリカに奪われ、斜陽の国への坂道を転げ落ちている時代となる。ジョージ6世も「決して望んだわけではない王位」で苦労したのか、56歳で亡くなる。

 そしてエリザベス2世も2022年9月8日に96歳で亡くなり、皇太子だったチャールズ3世が即位するが、すでに73歳である。また2005年に再婚した75歳のカミラ夫人も王妃となる。2月にエリザベス2世がカミラ夫人に「王妃」の称号を与える意向を示していた。

 かなり「駆け足」であったが、英国と英国王室の歴史を改めて振り返ってみた。

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