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「お勧め書籍」 志願して書評「代打」阿部重夫(ストイカ発行人・元FACTA編集長)

| 中央銀行・金融情勢・提言編 | 欧州 | 米国 | 経済編 | 欧州 | 米国 | 2020年6月05日 |

 http://stoica.jp/

 コロナ自粛で家にこもって本ばかり読んでいたせいで、書くのがちょっと億劫になってきた。で、リハビリを兼ねて、日頃交流のあるThe Stray Timesに書評を寄稿することにした。蘊蓄を傾ける気はありませんが、1997年に山一破綻のころと、2008年のリーマン危機を思い出す本をたまさか読んだので、それを現在形で語ろうと思う。

デイヴィッド・エンリッチ『スパイダー・ネットワーク』高崎拓哉訳
           ハーパーコリンズ・ジャパン(本体2800円)

 邦訳が出たのが3月19日、コロナ緊急事態宣言がいつ出るかと言われはじめたころで、下手をすれば埋もれかねなかった。5月23日の日経に上武大学教授の書評が出てかろうじて救われたが、この本の真価、いや現在形での意味はうまく伝わっていない。ある意味で金融の根幹を揺るがす一大事が起きようとしているのだ。

 LIBORと言っても読み方(ライボー)すら知らない人が多いかもしれない。「ロンドン銀行間取引金利」の略号で、シンジケートローンや社債、デリバティブズ(金融派生商品)などの国際金融の「奥の院」を知るには必須の指標金利であり、それが来年の2021年末には過去形になろうとしている。本書はLIBOR廃止のきっかけとなった指標金利「不正操作」のドキュメンタリーなのだ。

 リーマン後に発覚、NY連銀やCFTC、司法省など米国の当局の執拗な調査で、とうとうロンドンの金融街シティの癒着が暴かれるプロセスは、その世界をかいま見た私にとっては、やっぱりと腑に落ちることばかりだった。事件の舞台になったロンドンと東京のトレーダーの世界が、元ウォールストリート・ジャーナル記者(現ニューヨーク・タイムズ記者)の地を這うような取材で浮き彫りになる。軽井沢や六本木、彼が遊んだクラブやレストランの名まで出てくるのは、ちょっと驚きだ。

 実は評者がLIBORの本質の一端をかいま見たのは、ロンドン駐在だった1997年に「ジャパン・プレミアム」に遭遇したときだ。日経は毎日、電話聞き取りでLIBORのレートを聞き、それを東京に送って金融面のデータにしていた。が、聞き取り役の現地女性社員が聞いてきた。「LIBORが二種類あるんですけど、どちらを取れば……」。聞けば邦銀のドルLIBORと他の欧米銀のドルLIBORが違うという。邦銀は0.3~0.5%上乗せしないと調達できないという。背筋が冷たくなった。邦銀の信用不安がロンドンで顕在化したのだ。

 それはどこかが国際金融市場で資金ショートを起こしかねないことを意味した。70年代にあったヘルムシュタット危機に端を発するジャパン・プレミアムの再現である。もちろん、1面アタマと思ったが、これを日経で報じたら国内がパニックになる。直に東京の日銀、および大蔵省(現財務省)に急を告げ、いずれ報道せざるをえないから、システミック・リスク回避の準備をと訴えた。報道したのは1週間後、それも1面でなく国際面アタマと地味にした。が、日本に緊張が走ったのがわかった。あっというまに、拓銀、三洋証券、そして山一が破綻に追い込まれていった。二つのLIBORはその前兆だった。
 
 リーマン前にも、ギリシャ債務危機をきっかけに欧州の銀行の調達金利上乗せ(ユーロ・プレミアム)が起きた。LIBORの上昇は信用不安の前兆だからそれを糊塗する操作が横行する。LIBORは英国銀行協会(BBA)の有力行が提出する短期金利のうち、最高と最低を切り捨てて残りを平均するという簡単な算出方法だから、数行が結託すれば金利水準を高くも低くも誘導できる。各行とも金利スワップなどのトレーダー部隊と、そのポジションを抱えているから、自行が稼げるように金利をこっそり誘導して巨利を稼ぐ。

 その中心が英国人トレーダーで、数学はできるが空気が読めないトム・ハンズで、彼の破滅が本書の経糸になっている。その構造はトレーダーとブローカーの持ちつ持たれつの「ここだけの話」entre nousである。それが破れていくのはトレーダー同士の嫉妬と、移籍に伴う報復などで、いわば裏切りの世界なのだ。ハンズがリーマン後も荒稼ぎしていたのは驚きだが、リーマン危機で痛んだUBS証券がボーナスを値切ったのを機に、シティ証券に移籍してから暗転する。古巣は恨んで彼をチクり、シティは救済のため国が資本参加したため、ハンズを首にし、生贄として当局に差し出す。

 が、摘発されたのは氷山の一角だ。最初にトレーダーの音声ファイルを摑まれたバークレーズでは、「(LIBOR用の提出)金利を下げろ」というのは上からの指示であり、さらに中央銀行からもその圧力があったとの証言がある。イングランド銀行の副総裁が更迭されるという事態となったが、東京のマネーマーケットも似たりよったり。かつての四畳半金利の名残で、銀行と金融局と短資会社の「あ・うん」の金利形成は、おなじくTIBORも疑わしく映る。要は金融の根幹に「談合」体質が組み込まれ、米国の新基準SOFRがリスクフリーの担保付金利としているのに、東京のTONAは相変わらずの無担保翌日物を志向している。これは第二、第三のトム・ハインズを生みかねない。

 だが、ことの本質は指標金利の裏付けとなる銀行間市場が細り、LIBORがとっくに形骸化して架空の金利になっていたことにある。間接金融が劣勢なのに、直接金融の指標が銀行間金利だという矛盾。架空化した銀行間調達金利は、すなわち銀行の本支店レートの硬直性につながる。そこでもうからないから、リテールがどんどん細り、リスキーな投資やトレードで稼ごうとALMが歪む。それが銀行経営の宿痾となっているのだ。

 ブレグジット国民投票で英キャメロン政権が退陣したあとの2017年、英金融行為監督機構(FCA)はLIBORに引導を渡した。21年末以降、パネル行は金利をBBAに提示しなくていい、つまりLIBOR廃止を通告した。これは新基準金利を各国で決めることと、既存のデリバティブなどのLIBOR基準の契約書が無効になるため、その条件変更を契約者双方が合意しなければならないことを意味する。

 これはのけぞるような大仕事なのだ。日欧に続いて米国までマイナス金利になろうとしているいま、発行体と投資家の条件交渉は利害対立するから、証券会社は板挟みになる。しかもあと1年半と時間がない。そのうえにコロナという「泣きっ面に蜂」だ。本書は「蜘蛛の巣」のような不正の巣窟をこと細かに暴いているが、木を見て森を見ずの感があり、これはあくまでも前史にすぎない。日経金融部で私の部下だった太田康夫編集委員が昨年書いた『誰も知らない金融危機 LIBOR消滅』のほうが、これから始まる後史がよく見える。併せて読むと、これが金融機関だけでなく、企業も年金基金も巻き込む壮大な問題であることがよく分かる。脂汗が出てくるのは専門家だけではない。

++++++++++++++++++++(了)

2020年6月5日