2022/08/19(金)

15時00分57秒

The ST

世界の出来事を独自の見解で読み解く 刺激的金融ブログ

検索

ドル/円

疑惑の凶弾 その2

| テロ・陰謀・超現象編 | 政治・政策提言 | 日本 | 2022年7月21日 |

疑惑の凶弾 その2

 安部元首相が7月8日に凶弾に倒れて亡くなってから13日目であるが、早くも事件が風化している。首相経験者が凶弾に倒れた例は戦後初めてであり、戦前を入れても(襲撃の9か月後に亡くなった浜口雄幸首相を入れて)7例目という「歴史的大事件」の扱いにしては冷静すぎる。

 本誌は決して陰謀論者ではなく、安部元首相が「陰謀で抹殺された」などとは考えていなかったが、国民に知らせるべき最低限の情報ですら「不自然に」遮断されたままであるため、必要もないところにまで意識が回ってしまう。

 まず事件当日の安倍首相に対する警備であるが、お粗末だったとの批判が出るだけで「具体的に何が問題で、今後のためにどうするべき」という必要な話にならない。そこで本誌が「素朴」に感じたところだけを書く。

 まず選挙の応援演説に限らず首相経験者には必ず専属のSPが生涯張り付く。当然に当日の安部元首相の周りにも張り付いていた。銃撃など非常時におけるSPの任務とは、銃撃犯の確保などではなく、保護対象者(ここでは安部元首相)の安全確保である。これは世界中どこの要人警護でも昔から変わらない大原則である(最後に付け加えがある)。

 そして7月8日当日もその大原則は変わらない。従って準備不足だとか警備体制に不備があったなどは「全く無関係の議論」となる。

 今回も含めて非常時には時間的余裕などないはずで、SPは銃撃音がした瞬間に保護対象者を伏せさせて覆いかぶさるか、もっと切迫していたなら突き倒してでも次の銃撃から守らなければならない。

 ところが当日は、銃撃犯の1回目の銃撃が外れた後、致命傷となった2回目の銃撃まで約3秒間あったにもかかわらず、当のSPを含め誰もその大原則を守っていない。つまり当のSPだけでも大原則の通りに行動していれば、安部元首相の命は助かった可能性が高い。

 それではなぜ大原則が守られなかったのか?

 いくつか思いつくが、最も考えられる理由は「その場所」である。四方が剝き出しのガードレールに囲まれており、しかも安部元首相はミカン箱のような台の上に立っていた。少なくとも突き倒せる場所ではない。つまり安部元首相の演説場所は(特別視するわけではないが)首相経験者の演説場所としては不適当だったことになる。どういう経緯でそこに決定されたのか(何か特別な理由があったのか)は絶対に検証する必要がある。

 1963年11月にダラスで暗設されたケネディ大統領(当時)のパレードルートが当日ひそかにて変更され、直前に大きなカーブを曲がるため銃撃地点のエルム街を減速して通過しなければならなくなった。その変更を「交通安全上の理由」で指示したダラス市のキャベル副市長は、ビッグス湾事件の責任でCIA副長官を解雇されたキャベル将軍の実弟である。

 その次に考えられる理由は、1回目の銃撃時に当のSPが安部元首相の近くにいなかった可能性である。そこを含めて警備の不備で片付けようとしているが、もしそうならば専門的な訓練を受けたSPが理由もなく「持ち場」を離れるはずがない。
 
 実際のニュース動画では、1回目の銃撃の約40秒前にSPか奈良県警の警護担当者のどちらかは不明であるが、「持ち場」を離れて移動する様子が移っている。1回目の銃撃時までに「持ち場」戻っていたかどうかは不明であるが、SPにしても県警担当者にしても余程の「異変」を感じなければ「持ち場」を離れることはない。

 それではいったい「どんな異変」を感じたのか? ご本人の説明が聞ける可能性はゼロで永久に謎となるが、ぜひ確認したいところである。ここだけ本誌の「単なる推測」を許していただけるなら、周辺の高層階に「怪しい人影」を発見したからと考える。

 当日の警護だけからでも、これだけ不自然なところがある。そこを責任の押し付け合いではなく、少なくとも「何を考えてどう動いたか」だけでも国民に説明してほしい。
 
 最後に付け加えであるが、ケネディ大統領の銃撃時に隣に座っていたジャクリーン夫人が夫を放り出してオープンカーの後ろのボンネット伝いに逃げ出す様子がザプルーダ・フィルムに映っている。その時も後ろの車両にいたSPが走ってボンネットに飛び乗り、夫人を座席に押し倒して覆いかぶさっている。それが銃撃を想定した警備の変わらぬ大原則である。

 ザブルーダ・フィルムの「数奇な運命」は別の機会にまた解説する。ユーチューブでも見られるが「改竄後」である。まだまだ続編を書くことになる。

2022年7月21日